橋詰徹調査役

 2月議会最終日に、自民党県議団の議員総会が開かれました。この日の議会の流れ等についての説明が終わった後に、長きに渡り自民党県議団のシンクタンクとして、ご指導賜っていた、橋詰徹調査役が2月定例会を最後に勇退されるという報告を受けました。

 私が初めて、議会棟に登庁した日、議員の先生方の次に、御挨拶させて頂いたのが、橋詰調査役でした。

 橋詰調査役は、私の先代である、故吉原太郎県議と同時期(36年前)に県連に入社された事もあり、吉原県議とは深い深い仲だったという事を、多くの先生方、橋詰調査役御本人からも、お聞きしました。

 まさに、福岡県政の生き字引である橋詰調査役との時間は、私にとっては、一言一言が全てが学びであり、大変有難いものでありました。

 一見、穏やかに見える表情をお持ちの調査役ではありましたが、話す内容によっては、鋭く深みのある表情で、ご指導賜りました。

隣の部屋に行けば、「まー、お茶でも一杯飲んで行けよ」と、毎回お声かけ頂いていた、橋詰調査役が、いらっしゃらなくなると考えたけで、非常に寂しく思います。

 私の知らない、吉原県議の昔話をして下さる橋詰調査役の楽しそうな顔を見るのが、私は好きでした。

 議会棟で、行き詰まった時は、本当に助けて頂きました。初めての一般質問、政策審議会事務局長の二年間。そして、あんな時、こんな時。

 橋詰調査役が、このblogを見る事は絶対にありませんが、この場を借りて心より感謝申し上げます。

 私は、吉原太郎のような性格ではありませんが、吉原太郎が大切にしていた事は、身内として、秘書として誰よりも傍で受け取り、感じさせて頂いていたと思っています。

 時代が変わっても、変わらないものがあると信じて、これからも真っ直ぐに生きていきます。

橋詰調査役、5年という短い時間ではありましたが、ご指導頂き有り難うございました。

まだまだ、命を賭して頑張ります。

左、橋詰調査役。右、藏内相談役。
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